日本針路研究所

プランB No.34 2011.8

特集:脱原発移行期の課題

プランB No.34 脱原発移行期の課題

ISBN978-4-904350-84-3 C0336
B5判64頁
定価800円+税
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Plan B No.34 目次

〈脱原発移行期〉〈脱原発〉の内実深化を  村岡 到
特集:脱原発移行期の課題
力の父性文明から和の母性文明へ 村田光平
自然災害被災者の権利確立の道 出口俊一 災害復興基本法 (案)
自然エネルギー促進法について 桃井貴子
書評:堀江邦夫:著『原発労働記』 佐藤和之
玄海原発再稼働をめぐる攻防 河内謙策
インタビュー再録 FACTA 「原発」に頼らない社会へ「節電30%」は実現可能! 吉原 毅
脱原発移行期の攻防
9.23集会案内「脱原発:政治の激動期と私たちの課題」
脱原発の国民投票をめざす会 村岡到、河内謙策が講演
原子力の村で議員として市民として9回3.11以後の私たちの活動と考え? 浜岡原発の停止決定を足場に脱原発を 相沢一正
日本共産党三中総 「原発撤退」方針の積極面の裏で危機が深行 村岡 到
菅直人政権の迷走 政治全体の劣化こそが問題 村岡 到
 選挙制度をめぐる各党の動向
市民連帯各地懇話会 CS東京懇話会 CS神奈川懇話会 CS千葉懇話会
生存権フォーラム 第2回研究会 自然災害被害者の権利確立を考える 太田啓補
新自由主義には何を対置すべきか 世界政治経済学会第6回大会に参加して 瀬戸岡 紘
安藤昌益の現代的意義─その方法論、生き方に学ぶ 石渡博明
シリア反政府運動「レバノン特別法廷」から見たレバノン情勢 小副川 琢
ベーシックインカム構想と社会主義 伊藤 誠
蟷螂通信32 他山の石
映画評 幸せの経済学 河上 清
合 評 (編集委員会)
生存権フォーラム中川村合宿 ソ連邦崩壊20年シンポジウム
運動をになう声 東海村村長が脱原発 向井義男
 小学生も「一定の目処」 青山幸雄
 脱・原発文化に共鳴 武田信照
 トロツキー講座で吉田選挙が話題に 川本香作
編集後記

力の父性文明から和の母性文明へ
村田光平
●世界が直面する危機は経済危機でも金融危機でもなく文明の危機です。その根深い原因は世界的に蔓延した倫理の欠如であります。未来世代に属する資源を濫用し、永久に有毒な廃棄物及び膨大な債務を後世に残すことは倫理の根本に反します。
 「自然を統御し支配する」という力の父性文明は人類を破局に向かわせております。すべての民族が、そして人間と地球が共生する和の母性文明の創設が待たれている。8頁

自然エネルギー促進法について
桃井貴子
●私たちが目指しているのは持続可能な社会である。将来原発をゼロにし、化石燃料にも頼らず自然エネルギー100%の社会ができるかできないかの議論ではなく、やっていかなくてはならない唯一の残された道である。その第一歩となる「再生可能エネルギー促進法」は必要である。20頁

菅直人政権の迷走 政治全体の劣化こそが問題
村岡 到
●菅首相の軽い言動と、前記の谷垣氏や小沢氏の言動とどこが違うというのか。そこに共通しているのは、〈言葉の責任〉への鈍感さ、別言すれば政治家の資質の極端なまでの劣化である。日本の国会議員や政治家が全体として著しく劣化していることこそが、事態の根底にある本当の深刻な問題なのである。そのさらに基礎には、直面している政治的課題の困難さ・複雑さがある。34頁 

生存権フォーラム 第2回研究会 自然災害被害者の権利確立を考える
太田啓補
●小沢修司さんは、「ヨーロッパで議論されていたベーシックインカムについて、研究者の立場としては言葉の意味は大きいと考えていたので、日本語に訳すときには慎重でなければならないと考えていた。村岡氏の『生存権所得』という主張もいいのではないか。被災者生存権所得は重要である」と東日本大震災に絡めて見解を述べられました。
37頁

安藤昌益の現代的意義─その方法論、生き方に学ぶ
石渡博明
●現代平和学の定礎者、ヨハン・ガルトゥングの説く平和学とも重なる安藤昌益の自然真営道の世界を支えているものは、旺盛な知的探究心と強靭かつ柔軟な思考力、そして人間を生物存在であるとともに社会的存在であるとして、自己の生き方を厳しくかつ誠実に問うた、真に根源的な思想であった。35頁

ベーシックインカム構想と社会主義
伊藤 誠
●今日の日本に生じている恐慌や震災による経済生活への不均等なきびしい打撃も、この構想が実現され、たとえば月額8万円程度の公的給付が、日本の全社会成員に保障されていれば、かなり緩和されうることとならないか。その実現可能性の発展段階論的な主張の論拠を明らかにすることは、マルクス学派にとっての新たな考察課題をなしているとも考えられる。55頁

〈脱原発〉の内実深化を

 7月13日、菅直人首相は記者会見で「将来は原発がない社会を実現する」と明言した。首相辞任の時期がいつかが「政局ごっこ」のなかで最大の話題となり内閣支持率がついに12%まで落込んでいる(時事通信、7月上旬)首相の発言であるとはいえ、一国の首相がこのように明言したことは大きな意味をもつ。そう思っていたら、2日後にそれは政府としての見解ではなく、「私の考え方」だと後退した。まったく情けないことだが、この「私見」は前向きな発言には違いない。大いに歓迎し政府の見解になるよう働きかけなくてはいけない。この首相発言について、民主党最高顧問の渡部恒三氏は「脱原発は国民的常識になっちゃった」と評した(「朝日新聞」7月15日)。1週間前には、自民党政調会長の石破茂氏さえ「多くの方が『脱原発ができたらいいな』と思うのは当然のことだ」とまで発言した(同七日)。
 私は、3・11直後に「脱原発への転換を」と提起し(本誌32号)、次号では「〈脱原発移行期〉が始まった」と明確にした。そこでも確認したように「今や〈脱原発〉は不可逆な動向である」。
 問題は〈脱原発〉の内実を明確にすることにある。全原発を速やかに廃炉するための国民的合意を確立しなくてはならない。同時に、自然エネルギーへの転換も早急に実現する必要がある。ようやく審議が始まった「再生可能エネルギー法案」を成立させることが当面の大きな課題である。原発停止・廃炉のためには「自然エネルギーへの転換を待ってはいられない」という理由で、自然エネルギーへの転換に焦点を当てたり、課題にすることに反対する傾向があるが、大きな誤りである。一体として進めればよいことで、バッティングするわけではない。
 「脱原発が国民的常識」になるなかで、多くの人がこれまでの自分の生活スタイルや価値観の転換が必要なのだと実感しつつある。エネルギー多消費はよくなかったと反省し始めた。この意識の内実をいっそう明確にしてゆくことが大切である。私は、〈原発文化の打破〉と方向づけることがよいと考える(『脱原発の思想と活動』ロゴス、参照)。
 9月11日から19日を〈脱原発旬間〉に設定し、19日東京・明治公園での5万人集会を結節点にして脱原発勢力の大合流として実現しようではないか。主催団体がどこかという党派的抗争には意味はない(注)。
 1982年5月23日には東京・明治公園で反核大行動が展開され、40万人が参加し、その日に号外まで発行されるほどの大高揚となった。2008年には千葉・幕張メッセでの「9条世界会議」が1万4000人を結集した。いずれも党派的な分断を超えてさまざまな潮流が参加した。
 この間も、6月11日の脱原発行動は東京で2万人、全国で6万7000人の参加者で成功した。ここには主催者に名を連ねてはいない、共産党系の労働組合や民主団体からも下からの参加があった(7月2日には共産党系が「原発撤退」を掲げて2万人集会を実現した)。党派的な主導権争いを止めて、9・19を原水協と原水禁の積年の対立・分断を超えて合流するチャンスとして活かさなくてはならない。9月〈脱原発旬間〉へ大共同行動を!  
注 ロシア革命の例を引くと、1917年6月18日に、レーニン率いるボリシェヴィキは、メンシェヴィキが提起したデモに積極的に参加して自分たちのスローガンで埋め尽くした。(村岡到/本誌編集長)


自然エネルギー促進法について 桃井貴子(気候ネットワーク)

 はじめに

 3月11日の福島原発事故を受け、原発に対する人々の不信や不安の増幅とともに、脱原発とセットで自然エネルギー(再生可能エネルギーとも表記)への期待が一気に高まっている。今年6月、内閣総理大臣不信任案の採決をめぐる政治の混迷が続く中で、菅首相が、総理大臣の進退をかけて成立させると言ったのが、通称「再生可能エネルギー促進法案」である。「固定価格買取制度」といわれ、電力事業者が自然エネルギーで発電した電気を設置コストに見合った価格で買い取ることを義務付ける制度で、正式名称を「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」という。
 法案成立は首相の退陣3条件とされ、永田町では法案を成立させたくない勢力、退陣させるために早く成立させようという見解などが渦巻く。マスコミは、法案内容よりも政局の具として取り上げることが多いが、いずれにしても今国会での注目度は上がり、その存在が広く一般に知られることとなった。もし菅首相がここまで法案にこだわりを見せなければ、人知れず国会審議にすらかからなかった可能性もある。この点においては、菅首相に対してエールを送りたい。法案成立に向けて賛同する議員は7月上旬には220名にも上った。
 そしてもう一つ、この法案がドラマチックに語られていることがある。閣議決定が東日本大震災の当日、3月11日の午前中に行われていたことである。閣議のタイミングが遅くセットされていれば、議論が先送りされていた可能性を含め、法案の行方に大きな影響が出たことは間違いない。福島原発の大事故を起こした震災の直前に決定していたとは、なんと運命的な法案だろうか。
 未曽有の大震災の経験により大きくフォーカスされている法案だからこそ、震災復興、脱原発、化石燃料依存社会からの脱却など社会の転機とするものになってほしいと多くの人が願っていることだろう。しかし、今回の震災を出発点にしているかのようにうつるが、実際は震災よりも前に、震災とは全く関係なく政府でまとめられてきたものである。3・11でエネルギーに対する価値観のパラダイムが大きく変わる前につくられていたからこその課題も多い。そこで本稿では、「再生可能エネルギー促進法案」が閣議決定にまで至るプロセスやそこでの議論を整理し、法案の課題を浮き彫りにしていきたい。

 1 失われた10年

 自然エネルギーの導入を加速させるために、日本でも全量固定価格買取制度の導入をしようという議論が国内ではじまったのは今から10年以上前にさかのぼる。すでに導入をすすめていたドイツの事例にならって、日本では1998年に法制化に向けた市民運動がスタートし、その後、257名(国会議員の約三分の一)の超党派による議員連盟が立ち上がり、法案もできていた。しかし、結果的には電力会社と経済産業省のブロックに阻まれ、かわりにできた法律が、「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」、通称「RPS法」だった。
 「RPS法」は、電力事業者に再生可能エネルギーを一定枠で利用することを義務付ける法律だが、省令においてその枠があまりに低く設定されたため、普及に全く役に立たなかったことは歴史が証明済みである。結局、当初太陽光発電の導入量世界一を誇っていた日本は、その後ドイツやスペインなど買取制度を導入した国々にその地位を譲り渡すことになる。太陽光、風力、バイオマスなど自然エネルギー全体でみても、制度的インセンティブが働かず、日本の一次エネルギー供給量のわずか3%程度にとどまっているのが現状だ。RPS法という法律がつくられてしまったばっかりに、固定価格買取制度の議論はそこで止まってしまった。再生可能エネルギーの国内産業も伸び悩むこととなり、電力会社や経済産業省の主導権のもとで買取制度が導入されなかったこの10年あまりで失ったものは大きい。
 2008年、気候ネットワークなど環境NGOや市民団体約200団体が集まって展開してきたMAKE the RULEキャンペーンが発足し、地球温暖化対策を実行に移していくための制度づくりを提案するとともに、再度自然エネルギーについても全量固定価格買取制度の構築を提案していくこととなった。

 2 政権交代前後の買取制度論議──限定的な買取制度で先手

 自民党や公明党が最近、「再生可能エネルギーの買取制度が菅首相の専売特許のようになっているが、実は我々の方が先に実施していたのだ」と主張している。確かに、家庭における太陽光発電の余剰電力買取制度が2010年11月からスタートしており、この制度は政権交代直前に自公政権下で決められていた。
 最初の提案は2009年2月24日のことだ。二階俊博経済産業大臣(当時)が、記者会見で突然「太陽光発電に関する新たな買取制度の創設」を発表した。政府内や経産省の一部審議会メンバーにとっても寝耳に水だったと聞く。固定価格買取制度に対してはそれまでずっと否定的な見解を示してきた経済産業省だったので、一八〇度の方針転換なのかとも思われたが、そうではなかった。
 二階大臣は、この制度について「新たな制度を創設して、日本独自の体系を構築する」とし、「電気事業者が10年程度にわたり、当初は現在の2倍程度の額を基本とした価格で買い取るしくみ」だと説明している。そして、時の国会で提出予定の「エネルギー供給構造高度化法案」で手当てするよう調整しているとのことだった。
 「エネルギー供給構造高度化法」とは、2009年7月に成立した法律で、正式名称を「エネルギー供給事業者による非化石エネルギー源の利用及び化石エネルギー原料の有効な利用の促進に関する法律」という。名前のとおりエネルギー供給事業者に原子力などの非化石エネルギーと石炭、石油、天然ガスなど化石エネルギーの効率的な利用を義務付ける法律であり、原子力や化石燃料依存の構造からシフトするためのものではなく、むしろメ効率的にモ使い続けることを担保した法律と言える。
 二階大臣は、記者会見でこうも付け加えている。「従来のRPS制度につきましては、そのまま維持していくわけでありますし、またドイツ等でやっております固定価格制度をそのまま我々のほうで受け入れるというのではなくて、ここは十分、関係業界の皆様や一般の皆様のご意見等も十分伺いながら、我が国独自の、いわゆる新しい日本型の政策を打ち立てて、従来のRPS制度と固定制との組み合わせによって、その結果、良い制度になるようにしたいと思います。」さらに、この内容には電気事業連合会の会長にも相談し協力を取り付けていることを明示した。
 要するに、時の麻生太郎政権の支持率が下がり、政権交代がいよいよと現実味をおびだしている中で、ドイツなどで成功を収めてきた「全量」の固定価格買取制度の導入論が国内で再浮上しており、その大きな流れを事前に阻止するために、経産省と電力会社が水面下の交渉によって、既存のRPS法は残し、家庭の余剰電力だけに限定した極めて小さい買取枠で先手を打ったのではないか。結局、その後、十分な議論もないままに3月10日には「エネルギー供給構造高度化法案」が閣議決定し、7月に国会で成立した。そして、詳細な制度設計は政省令にゆだねられることになるが、その作業はたった二カ月の間であっという間に進められた。
 経済産業大臣の諮問機関である総合資源エネルギー調査会新エネルギー部会・電気事業分科会買取制度小委員会が7月9日に開催され、その後8月20日までに計四回の会合を行い、同月25日「エネルギー供給構造高度化法」の政令が閣議決定した。これは民主党が「政権交代」や「脱官僚政治」を旗印に衆議院議員選挙がおこなわれている最中で、政権交代がいよいよ現実のものになろうというときであった。そして、衆議院選挙投票日である8月31日、プレスリリース「太陽光発電の新たな買取制度について」が公表された。
 まさしく日本で最初の固定価格買取制度は自公政権下でかけこみでつくられた。そして、その存在は、その後の全量買取制度の議論にも大きく影響することとなる。

 3 民主党が野党時代に果たした役割

 一方民主党は、野党時代に打ち出してきた政策によって、政府のこうした動きを良くも悪くも牽引してきたと言える。
 2008年10月10日発行の「民主党政策INDEX2008」では、「風力、太陽、バイオマスなど再生可能エネルギーの一次エネルギー総供給に占める割合を、EUの導入目標をふまえて大幅に引き上げ、2020年までに10%程度の水準の確保を目指します」と掲げた。数値目標自体は必ずしも高い目標とは言えないが、現状の制度のままでは達成困難な数字であり、実行するための政策が必要となる。そこで検討されてきたのが全量固定価格買取制度であった。
 2009年4月3日、民主党は地球温暖化対策推進本部の下に固定価格買取制度検討作業チームを発足し、影の内閣の経済産業大臣・増子輝彦議員が座長をつとめた。そして6月3日の地球温暖化対策推進本部総会にて、「固定価格買取制度についての考え方(案)」の中間報告がなされている。太陽光発電のほか、風力、小水力、バイオマス等自然エネルギーによる発電量の全量を一定の期間一定の価格での買い取り、RPS法は廃止、余剰買取も廃止を打ち出している。
 夏の衆議院議員選挙を目前にして、この全量固定価格買取制度の導入は、民主党の政権公約の一つに掲げられた。2009年7月23日発行の「民主党政策INDEX 2009」では、「再生エネルギーの利用促進により、エネルギー分野での新たな技術開発・産業育成をすすめ、安定した雇用を創出するため、再生可能エネルギーによる発電量の全量を一定期間、一定程度で買い取る固定価格買取制度を導入します。あわせて、スマートグリッド(効率的な電力網)などの技術開発・普及を促進するとともに、設備の設置費用に対する財政上の措置を拡充します」として、自公政権の政策との違いを明確に示した。
 民主党の政策では、地球温暖化対策基本法案の制定も政権公約の一つだが、法案で温暖化対策中期目標25%削減を打ち出し、それを実効するための政策三本柱として、キャップ&トレード型の国内排出量取引制度の導入、地球温暖化対策税の創設、そして再生可能エネルギーの全量固定価格買取制度の創設という位置づけをしていた。
 そして、2009年9月16日に政権交代。鳩山由紀夫首相が真っ先に行ったのが地球温暖化対策の中期目標25%削減を世界に表明したことであった。その後、民主党の温暖化政策に対する産業界の強い反発、激しい経済産業省の巻き返し劇がはじまり、「地球温暖化対策基本法案」の内容は無残にゆがめられていく。その中において、全量固定価格買取制度の議論は経済産業省の下で進められた。法案として今国会にかかっているというのは、その経緯を踏まえると感慨深いものがある。

 4 全量固定価格買取制度の議論

 新政権になって二カ月後の11月6日、経済産業省の下に五名の有識者をメンバーとする「再生可能エネルギーの全量買取に関するプロジェクトチーム」が発足した。既存審議会や小委員会とは異なり、独立したプロジェクトチームで、増子副大臣、近藤政務官が主として担当し、政務三役が毎回参加するという異例の会合だった。計五回の会合と計五回のヒアリングが開催され、2010年8月に最終的な報告書がまとめられ、制度の骨格はここで基礎が形づくられた。その後の詳細な制度設計は、これまで太陽光発電の買取制度を審議してきた「総合資源エネルギー調査会新エネルギー部会・電気事業分科会買取制度小委員会」へと審議の場が移された。
 9月29日から約四カ月の間に全7回開催された小委員会では、次のようなポイントで報告書がまとめられた。買取対象は、実用化された自然エネルギーである太陽光発電(発電事業用まで拡大)、風力発電(小型も含む)、中小水力発電(3kW以下)、地熱発電、バイオマス発電とする。住宅などにおける小規模な太陽光発電等については、現行の余剰買取を基本とする。新設・既設の取扱いは、新設を対象とすることを基本とする。買取価格は15~20円/kWh程度、買取期間を15~20年を基本とし、一律の買取価格とする。今後価格の低減が期待される太陽光発電等の買取価格については、価格低減を早期に実現するため、当初は高い買取価格を設定し、段階的に引き下げる。また、太陽光発電の買取期間は、10年とする。費用負担は、電気料金に別だてでサーチャージとして上乗せする方式とし、電気の使用量に応じて負担する方式を基本とする。そして、RPS法は廃止とすることとされた。
 この内容をもとに法案の骨格がつくられた。はたして地域分散型の地域特性を活かした自然エネルギーの普及に役に立つのだろうか。
 まず家庭の太陽光発電は全量買い取られてこそ設備投資分の回収ができるものだが、先行してつくられた買取制度に引きずられ余剰電力だけを対象とすることになった。また、太陽光以外の発電はすべて一律価格でとされているが、実際は風力発電とバイオマスが同じ価格設定ではコストが見合わなくなる可能性も高い。また、既設の発電は対象外とされ、先行して取り組んだ事業者へのメリットも考慮されなかった。
 そして、制度の最大の要となる買取価格と買取期間については、表のような試算が示されただけで固定価格として具体的に設定されないままだ。最終的には法案成立後の政省令にゆだねられることになっている。この表も、家庭のコストや負担の差は大きく、削減効果は大差がないようにつくられているところが気になる。
 買取費用は完全に通常の電力料金とは切り離され、サーチャージという形になったため、電力料金の明細では自然エネルギー分だけは見えるようになっている。原発や化石燃料についてはコストも不明瞭なまま、自然エネルギーの分だけは別扱いとして国民にコスト負担の納得を求めていくというのもおかしな話だが、サーチャージのしくみも太陽光余剰買取制度の中でできた形を継承している。

 まとめ──自然エネルギーの普及に向けて

 今、私たちが目指しているのは持続可能な社会である。将来原発をゼロにし、化石燃料にも頼らず自然エネルギー100%の社会ができるかできないかの議論ではなく、やっていかなくてはならない唯一の残された道である。その第一歩となる「再生可能エネルギー促進法」は必要である。
 今回は、政権交代の勢いも重なってここまで至ったと言える。法案が通ればそれで終わりではなく、持続可能な社会に向けたスタート地点にたてたのである。そして、良くも悪くも3・11の原発事故によってこれまでのエネルギー政策の形成プロセスに問題があったことも浮き彫りになったことで、エネルギー政策を大きく変える転機がおとずれている。今後、この法案の制度運用面を含め、エネルギー政策全体に市民が関心を持ち続け、提案を投げかけていくことで、未来につながる新しいエネルギー政策をつくっていけるのだと思う。
(ももい・たかこ/気候ネットワーク)

 

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