日本針路研究所

プランB No.38 2012.6

特集:宗教と社会主義

プランB No.38 特集:宗教と社会主義

ISBN978-4-904350-88-1 C0336
B5判84頁
定価900円+税
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Plan B No.38 目次

巻頭言 政治不信の極大化─政策的優先課題と党議拘束の明確化を 村岡 到
特集:宗教と社会主義
戦前における宗教者の闘い 〈宗教と社会主義〉理解の深化のために 村岡 到
社会変革と宗教の役割──アリー・シャリーアティーを中心に 北島義信(真宗高田派僧侶、四日市大学名誉教授)
釈尊の教えと社会変革  曽我逸郎(中川村村長)
編集長インタビュー
大本信徒として生きる 鹿子木旦夫さん(大本綾部祭祀センター長)
当世大学生宗教事情 佐々木研一朗(明治大学客員研究員)
「墓無い人生」は21世紀の生き方 小野清明(日本自然葬協会会員)

脱原発移行期の攻防
総選挙後の韓国政治と12月大統領選挙への展望──進歩・民主陣営に求められる高い〈道徳性〉 岡田卓己(韓国・啓明文化大学教員)
生存権フォーラム第4回研究会 京都で山森亮氏が報告 河上 清(労働通信編集委員)
「橋下徹・大阪維新の会」を支えるものは何か 櫻井善行(教育労働者)
賢明な小日本主義の道を選択すべき時 初岡昌一郎(姫路獨協大学名誉教授・ソーシアル・アジア研究会代表)

『歴史の教訓と社会主義──ソ連邦崩壊20年シンポジウムから』を読んで
大江泰一郎(静岡大学名誉教授)
書評 木の花ファミリー:編『血縁を超える自給自足の大家族』 澤 則雄(テレビプロデューサー)

論文
TPP推進の情報隠蔽とウソ 鈴木宣弘(東京大学農学部教授)
アダム・スミスの倫理学と経済学 上 武田信照(愛知大学名誉教授)

村岡到論文が『経済理論』に掲載/村岡到の投書が「東京新聞」に掲載
中国共産党の政法委員会──〈党主政〉の根幹にあるもの  村岡 到
集会報告:神戸集会で村岡が講演/市民連帯東京懇話会/社会主義理論学会 第23回研究集会
投稿 プルトニウム社会を許さない闘いを──故郷・福島第一原発事故に思う
岡部通弘(東京・元全逓牛込支部長)
読者のページ
超残酷な現実を直視する    東京 藤村由美
村岡著作に触れて       富山 四十物和雄
ライオンに襲われた時     東京 梟生
編集後記

戦前における宗教者の闘い 〈宗教と社会主義〉理解の深化のために
村岡 到
●少し前に「宗教が『人間の内面的世界の安心を求め』る志向性を不可欠とすることに留意するなら、はっきりと『宗教的なものと社会変革との〈調和〉』が可能であり、必要であると結論しなくてはならない」と書いたが、さらに深めて考究したい。〈宗国分離〉の上で、〈宗政調和〉が必要である。(12頁)

社会変革と宗教の役割──アリー・シャリーアティーを中心に
北島義信
●1980年代の南アフリカにおいて、ある聖職者は次のように述べている。
 「マルクス主義者も聖職者も、反アパルトヘイト運動の同じ塹壕の中にいる味方同士なのだ。だから、マルクス主義者は聖書を読み、聖職者は資本論を読むことが必要だ」。
 社会変革を考えるとき、宗教者と無神論者の間の境目はそれほど明確ではなく、両者の交流は可能であり、必要でもある。(19頁)

釈尊の教えと社会変革
曽我逸郎
●限られた経験に基づく判断との自覚があるから、自分を無謬と信じることはない。考えを深めるため聞く耳を持つようになる。相手の主張も同様だから、互いに意見をぶつけ合い耳を傾けあう。つまり、凡夫の自覚は、本来の民主主義をもたらす。それができれば、世の中はずいぶん良くなる。(23頁)

編集長インタビュー 大本信徒として生きる 鹿子木旦夫さん
●私が知っていたマルクス経済学の先生は病気で死が近づくと非常に悩み、というよりもうろたえていました。科学的社会主義では死を目前にした恐怖感を克服できなかったのでしょう。そのことがずーと心に残っていた私には、祖母の見事な死にざまはとてもショックでした。祖母は特に教育を受けた人でもありませんが、熱心な大本信徒です。信仰の力の偉大さを知ることができました。(27頁)

総選挙後の韓国政治と12月大統領選挙への展望 ──進歩・民主陣営に求められる高い〈道徳性
岡田卓己
●12月の大統領選挙で勝利するためには──民主統合党の良識派であるムン・ジェイン顧問から、柔軟な発発言がなされたことに大いに希望を感じる。この方向に、統合進歩党や解散させられる進歩新党、緑の党、青年党など、さらに広範な市民勢力を加え、真摯な対話が求められている。(40頁)

TPP推進の情報隠蔽とウソ
鈴木宣弘
●TPPの本質は、米国主導で、徹底的な規制緩和を断行し、市場に委ねれば経済的利益は最大化されるという論理の徹底である。すべての関税・非関税措置の撤廃が目指される。ルールなき競争の結果、一部の人々が巨額の富を得て、大多数が困窮して食料も医療も十分に受けられないような格差社会が生まれても、全体の富が増えるなら効率なのだという論理である。(58頁)い(54頁)。


社会変革と宗教の役割──アリー・シャリーアティーを中心に 北島義信(真宗高田派僧侶、四日市大学名誉教授)

 先般、巨大地震・津波の研究者である名古屋大学大学院准教授・川崎浩司さんから伺った話であるが、昨年三月の東日本巨大地震津波の被災地をまわって調べてみると、被害を免れた建物では、神社、寺院が目につくとのことであった。もちろん、地震・津波によって倒壊した寺院・神社もあったことは事実である。しかし、古くから存在している宗教施設の多くは、過去の巨大災害に学び、より安全な場所を選んだり、災害に強い建築方法を開発・採用している。そのことが、被害を最小限にしているのではないだろうか。
 「近代科学技術」の悪しき「象徴」の一つとされる福島県の「原子力発電所」は、昨年の巨大地震・津波によって崩壊し、自然・人間・社会は修復不可能な被害を受けた。他方、「近代科学技術」とは対極にあるとみられる宗教施設で、崩壊を免れたものは少なくない。この違いは、何を意味するのだろうか。
 人間解放を掲げる宗教は、過去と未来への「射程の幅」が広く、その枠組みの中で未来を考えることが基本的前提にある。これに対し、「原発」は自己利益追求のみが中心となることによって「射程幅」が狭くなり、「エゴイズム」と「科学」が混同化することによって、後の世代のことなどは、視野の中には入らない。このような傾向は、彼らだけに見られるものでもなく、近代以降の世界の特徴点の一つでもある。
 「科学」はその対象が自然であれ、人文・社会であれ、決して「絶対者」ではなく、常に自らの「有限性」「不完全さ」を自覚し、自己の枠組みを突き破る努力が必要である。この努力は、「科学」とは異なったものから生み出される。昨年の巨大地震・津波は、われわれに「このことを考えよ」と語りかけているように思われる。

一九七〇年代までの「第三世界」の社会政治運動の基軸
 近代世界においては、「科学」と「理性」が重視されるだけではなく、それ以外のものは、軽視ないしは無視される傾向が強い。その具体的対象となるのが、宗教である。宗教が社会において、重要な役割を果たしたのは近代以前の世界であり、近代市民社会においては、それに代わって「理性」「科学」「個人」が決定的な役割を果たすということ──このことが「常識」として受け入れられてきた。
 現代社会において、宗教は「厄介なもの」「否定的なもの」「反社会的なもの」とみられる傾向が強い。「そもそも宗教は、個人の心の中だけの問題に限定されるべきものであり、社会・政治問題に関わるべきものではない」と考える人も多いであろう。このような価値観が主流となっていたために、第二次世界大戦以後の「第三世界」の反植民地主義運動に対して、宗教を視野から除外し、「社会主義勢力」対「帝国主義勢力」という対抗軸を立てて研究を行うという方法に、違和感はなかったように思われる。
 確かに、第二次世界大戦から一九六〇年代にかけての歴史は、このような考え方の「正当性」を一定程度裏付けるものともなっている。
 たとえば、イランにおいては一九五〇年代のはじめに、イギリスの管理下にあったアングロ│イラン石油会社の国有化運動において、戦後最大の民族運動の高揚を迎える。この運動を強力に推し進め、「イギリスやアメリカによるイランの傀儡化に真っ向から挑戦した人物」は、広範な民衆の支持を受けていたモサッデクであった。彼は一九五一年にイランの首相に就任した人物である。「モサッデクを指導者として『国民戦線』が生まれ、民族的諸勢力が一時的に連合した」(中東調査会編『イスラム・パワー』第三書館、一九八四年、八九頁)。広範な民衆の支持を得ていたこの運動の指導者は、イギリスとアメリカによるクーデターによって一九五三年に失脚する。これ以後、国民戦線は厳しく弾圧されるようになる。
 しかしながら、六〇年代後半から七〇年代にかけて、「国民の四人に一人は秘密警察」という監視体制のもとで、民衆の運動には、新たな局面が現れる。それは、イスラームを基軸とした復興主義運動であり、この力が一九七九年にイラン・イスラーム革命を成功させるのである。
 また、南アフリカにおいてもイランと同様なことが起こっている。南アフリカでは、第二次世界大戦後、アフリカ民族会議と南アフリカ共産党を中核とする反アパルトヘイト解放運動が前進した。一九五〇年に共産主義弾圧法によって、南アフリカ共産党は非合法化されるが、反アパルトヘイト運動はさらに前進し、一九五五年には「人民会議」が開かれ、アフリカ民族会議、南アフリカ・インド人会議、南アフリカ労働組合会議、白人組織の民主主義者会議、南アフリカ・カラード人民機構、の五組織から三〇〇〇人の代議員が集まり、アパルトヘイト全廃・全人種平等の南アフリカ建設を掲げる「自由憲章」を採択した。この運動には多くの共産主義者が加わっていた。
 これに対し南アフリカ政府は徹底した弾圧を加え、五六年には活動家の一斉大量逮捕が行われ、一九六〇年にはアフリカ民族会議、パン・アフリカニスト会議は非合法化された。これ以後、徹底的な弾圧の中で、反アパルトヘイト運動は冬の時代を迎える。
 ところが、一九七〇年代に入るとキリスト教を基盤とした黒人意識運動が起こる。この運動によってアフリカ黒人の意識変革と連帯は飛躍的に前進し、八〇年代に入るとこの運動は「統一民主戦線」に代表される全人種平等主義の運動へと発展する。黒人意識運動は聖職者と民衆をつなぎ、労働運動とも連帯し、最終的にはアパルトヘイトを全廃させる道筋を切り開いた。
 六〇年代までの「第三世界」の社会政治運動においては、社会主義思想の影響を受けた民族解放闘争が主流であったが、七〇年代になると、多くの地域において、宗教が重要な位置を占めるようになる。南アフリカのキリスト教を基盤にした黒人意識運動、イランのイスラーム復興主義運動、ラテンアメリカにおける解放の神学がその具体例である。
 なぜ、解放運動の基軸に宗教が現れたのであろうか。社会主義思想を基軸にした運動において人間の主体化の課題は、「現実認識が人間を主体化させる」「事実認識は価値観形成と一体である」というレベルにとどまり、目的意識をもって追及されることは不十分であった。また現実認識が直接に人間を主体化させる歴史的情勢が、五〇年代の「第三世界」には存在していた。ところが一九六〇年代のイラン、南アフリカでは、徹底した運動弾圧が組織的に持続的に行われた。そのような現実のもとで、主体化の課題が生まれてきたのである。この苦悩の時代に初めて、人間の主体化の道筋が問われるようになるのである。
 この状況と、過去において人間解放の宗教が生まれた状況には、共通項が存在する。その共通項とは、現実逃避ではなく現実に向き合う課題に応えるものが求められるということである。社会主義思想を知っている「第三世界」の人々が、宗教に目を向けたことには理由がある。
 第一に、彼らにとって宗教は日常生活の中にある、最も身近なものであり、誰もが関わりを持つものであったということである。第二に、宗教とは人間の内面と社会生活を分離せず、精神的解放と社会的解放を一体化させた、トータルな人間解放を目指すものであり、敵をも人間化してゆくものであることを「聖書」や「クルアーン(コーラン)」の中に彼らは読み取ったことである。宗教が人々の日常生活の中に存在している「第三世界」では、このような聖典の捉えなおしが、広範な民衆の意識変革を引き起こし、社会運動化するのは不思議なことではなく、また「反社会主義」となるわけでもなかった。
 では、具体的にイランの場合をみてみよう。

イラン・イスラーム革命とアリー・シャリーアティー

以下は本誌で

プランB No.43
終刊号:閉塞時代を打ち破る代案を!

プランB No.42
特集:農業の未来を探る

プランB No.41
特集:資本主導の近代化が抹殺したもの

プランB No.40
特集:ウィリアム・モリスをどう捉えるか

プランB No.39
特集:親鸞・共同体・真理

プランB No.38
特集:宗教と社会主義

プランB No.37
特集:脱原発運動の質的深化のために

プランB No.36
特集:編集委員と読者の提言

プランB No.35
論文号

プランB No.34
特集:脱原発移行期の課題

プランB No.33
特集:原発震災・農業・TPP反対

プランB No.32
特集:司法改革の課題

プランB No.31
特集:転機に直面する労働組合活動