日本針路研究所

プランB No.39 2012.9

特集:親鸞・共同体・真理

プランB No.39 特集:親鸞・共同体・真理

ISBN978-4-904350-89-8 C0336
B5判80頁
定価900円+税
ご注文は針路研まで

Plan B No.39 目次

巻頭言 進む 政党の溶解─選挙制度に着目を 村岡 到(本誌編集長)
特集:親鸞・共同体・真理
親鸞を通して分かること 村岡 到
中世村落共同体の思想・行動基盤としての浄土真宗──親鸞から蓮如への展開 北島義信(真宗高田派僧侶、四日市大学名誉教授)
真理の人間的意味 堀井谷峰(札幌圏連帯労組執行委員長)
ブラジルのユバ協同農場 芸術を主軸とする農業共同体 木村 快(NPO現代座代表)
 紹介 ヤマギシズム・ブラジル実顕地 大角宏一(ヤマギシズム豊里実顕地)

韓国の進歩的左派に求められる課題 岡田卓己(韓国・啓明文化大学教員)
NPO針路研討論会「韓国の政治情勢と市民運動の課題」 佐藤和之(教育労働者)
資料 韓国・緑の党綱領
脱原発で国政参加めざす「緑の党」結成 渡辺幸重(フリージャーナリスト)
脱原発移行期の攻防
「固有領土」の虚構は捨てよう──尖閣を目くらましにするな 岡田 充(共同通信客員論説委員)
東京グラムシ会の研究会 聴濤 弘さんの話を聞いて 柴田美穂(教育労働者)
市民連帯各地懇話会報告 CS神奈川懇話会・CS討論会、懇話会お知らせ
ロゴス討論会・夏合宿 親鸞と社会の変革 佐藤和之  大地への高次復活めざす社会を
南京大虐殺記念館を訪ねて──中国の成熟 浅田 明(信州大学名誉教授)
投稿 資本主義と退廃的消費──瀬戸岡「消費削減運動」への疑問 川合清隆(甲南大学名誉教授)
東日本大震災がれき 広域処理問題を巡って 四十物和雄(労働者)
論議深まるベーシックインカム論 『経済理論』ベーシックインカム特集 高橋 聡(生存権フォーラム事務局長/労働者)
書評
 カール・ポランニー:著『市場社会と人間の自由』 斉藤日出治(大阪産業大学教員)
 村岡到:編『歴史の教訓と社会主義──ソ連邦崩壊20年シンポジウムから』 岡田卓己(啓明文化大学教員)
 マイケル・サンデル:著『それをお金で買いますか──市場主義の限界』 平松民平(エンジニア)
 御園生涼子:著『映画と国民国家──1930年代松竹メロドラマ映画』 西川伸一(明治大学教授)
アダム・スミスの倫理学と経済学 下 武田信照(愛知大学名誉教授)
編集後記

親鸞を通して分かること
村岡 到
●親鸞が〈平等〉をきわめて強く説いたことは、『歎異抄』の第一条にくっきりと示されている。(6頁)
 〈心の在り方〉と〈政治経済〉とをはっきりと分けた上で、その両方を理解する努力を重ねなくてはいけない。「政教分離」ではなくて、〈宗国分離〉が正しく〈宗政調和〉こそが求められている。(17頁)

中世村落共同体の思想・行動基盤としての浄土真宗──親鸞から蓮如への展開
北島義信

●蓮如によって惣村に浸透した親鸞思想は、利害の一致する惣村の政治的指導者層と門徒集団を団結させ、他の村々とも連帯して外敵と闘うための普遍的な精神的紐帯となった。(24頁)
 真宗優勢地帯の惣村と親鸞思想の結合は、精神生活と社会政治生活の統一による主体的な、他者と連帯できる人間形成を生み出した。この精神は地下水脈として受け継がれている。(25頁)

韓国の進歩的左派に求められる課題
岡田卓己
●統合進歩党の混迷のなかで、4月の総選挙で議席を獲得できず解党させられた進歩新党や緑の党の動向は、注目に値する。
 進歩新党の中からは、緑の党+との共同行動とより深い討論を訴える議論もあるが、こうした新しい労働運動と環境・脱核エネルギー運動との深い連携に期待することができる。(40頁)

資料 韓国・緑の党綱領

●私たちは、共同体への支援と暮らしの経済、協同と連帯の経済の中で代案を発見します。私たちは、成長と物神主義、経済至上主義を越える政党であり、化石燃料を越えた太陽と風の政党、文明史的転換を作る緑の価値の政党、反政党の政党です。私たちは、普遍的人権を越えて、生活政治・少数者の政治・緑の政治を通して少数者と生命と自然を擁護します。私たちは、苦難と困難の中でも笑いと楽観を失わず、平和と非暴力の和やかさを通じて世の中を変えるでしょう。(42頁)

論議深まるベーシックインカム論──『経済理論』ベーシックインカム特集〉
高橋 聡
●経済理論学会機関誌『経済理論』が「ベーシック・インカム論の諸相:これからの日本社会を展望して」を特集。現在、多くの識者が「資本主義の限界」を実感しつつある。左翼が退潮した後に、実際それは来たのかもしれない。この特集は、最近のBIに関する議論の一定の成果を示すもので、その水準はわれわれが今後BI実現を要求する運動に踏み込んでゆくなかで理論面の力になるだろう。(58頁)

「固有領土」の虚構は捨てよう──尖閣を目くらましにするな
岡田 充
●「中国が武力で奪いとろうとしている」という主張に明確な根拠はない。「オオカミがくる」というアジテーションが有効な「土壌」と「空気」が醸成されていることを、まず自覚しなければならない。衝突事件後も中国の基本政策は「棚上げ」である。警戒しなければならないのは、二年前の事件のように「ボタンの掛け違い」から、お互いが出方を見誤り、思わぬ衝突に発展する恐れである。尖閣問題は日本、中国、台湾の三者が領有権を主張している以上、「棚上げ」以外の選択肢はない。日本が実効支配しているのだから、現状維持は日本にとって何のマイナスにはならない。(56頁)


中世村落共同体の思想・行動基盤としての浄土真宗──親鸞から蓮如への展開 北島義信(真宗高田派僧侶、四日市大学名誉教授)

 はじめに

 私が小学生時代を過ごした一九五〇年の四日市西部の農村地帯には、昔ながらの村落共同体の生活が残っていた。年間に子どもたちがやらねばならない、幾つかの行事が存在していた。七月の終わりには、「山の神」の行事がある。子どもたちは「山の神」の象徴である自然石が鎮座する堤防の周りを掃除し、夜には堤防沿いの桜の並木にロープを張って「行燈」を吊るし、花火をあげる。子どもたちは、各家を回って、寄付を募り、それによって行事をまかなう。稲の取り入れが終わると、一一月には豊作を祝う「いのこ」行事がある。また一月一五日には、私の生家、円勝寺(浄土真宗本願寺派)の鐘楼に稲藁の「むしろ」を使って小屋を造り、親鸞聖人のお通夜の行事を行う。これらの行事の責任者は六年生であるが、すべて自主運営であり、大人は一切介入しない。このような活動の中で、子どもの自主性と責任感が育つ。また行事をやり遂げたという達成感を共有できるのである。
 共同体の子どもは、満一三歳になると、一一月に行う「山の神」行事の「餅つき・会食」時に、大きな鏡餅一個をもらって、次年度からは大人の社会に入り、一人前の大人としての活動を行う。江戸時代には満一四歳(数え年一五歳)になると大人となり、一揆勃発時には、動員対象となっていた。
 私は浄土真宗本願寺派の寺院に生まれたため、小学校の三年生の頃から、報恩講(親鸞聖人の徳を讃え、恩に報いる命日法要)には、ご門徒宅を回って「正信(正信念仏偈)」(『教行信証』の信文類巻末に書かれている念仏讃歌)をご門徒(檀家の皆さん)と一緒に勤めていた。ほぼ全村が真宗門徒であるため、どの家庭でも夕方には、「正信偈」(真宗高田派門徒であれば「文類偈(念仏正信偈)」)を勤めており、すべての子どもはお勤めができた。
 少年時代を振り返ってみると、共同体によって自分が育てられ、鍛えられたことを実感する。そこで育てられた子どもたちは個性豊かである。共同体の生活は、他者から学び、他者に尽くすことを通じて仲間との連帯を強化するものである。諸行事は、子どもたちに、討議の力と楽しみをもって自主性・責任感を鍛えてくれる場なのである。成人して後に、職場の労働組合で委員長を引き受けた時も何の迷いもなく、活動をしていても消耗感はなかった。活動の基礎には、共同体で培われたものがあったからだろうか。
 しかしながら、共同体を嫌悪する人も少なくない。その理由は以下のものであろう。共同体は、個性を破壊し、個人に不必要な強制をおこない、自由を求めるものに対しては組織の力で「村八分」的制裁を加える。共同体は、近代以前の組織であり、近代社会とは共存できない。──このような批判がなされることがある。だが、これは共同体の生活を体験したことのない人の言葉であるように思われる。
 私はこの小論において、自主的自治共同体はどのような必然性のもとに生まれ、人間の主体形成、社会変革に貢献してきたのか、また現代、何を受け継ぐべきかを明らかにしたい。まず、農村における共同体生成の歴史的必然性を見てみたい。

1  一五世紀後期の農村地域共同体の形成

 日本における農村の地縁的な自治共同体の形成は、中世後期(一五世紀後期)であるといわれている。このような共同体は荘園制の解体過程で生まれてきた。荘園制は鎌倉時代末から室町時代にかけて、大きく変化し、荘園の支配権は、公家・寺社から在地領主の武士へと移行する。その移行の過程において農民は、「荘園主側と漸次強化されてゆく守護大名及びそれと結ぶ在地武士の封建支配の間に立って、身と村を守るためには、支配者の地位に立つ二つの勢力の農民搾取の軽重を天秤にかけながら行動したのである。……室町中期の農民にとって幸いにも、荘園制は崩れつつあり、農民は荘園の枠をこえて、地縁的につながる広範の村々が共通の利害の下に団結して、一つの動きをとりうる程に成長していた」と笠原一男氏は明らかにしている(笠原一男『一向一揆』至文堂、一九七七年、三二頁)。
 かくして、一五世紀後期において、畿内を中心にそれまでの散村は解体されて、農村共同組織としての惣村組織(および数カ村連合としての惣郷組織)が生まれる。畿内をはじめ、東海・北陸・中国地域に惣村が生まれた理由は、これらの地区は経済「先進地域」であり、段当収量(田一段からとれる米の収穫量)も関東以北に比べて多いことが農業余剰生産物の蓄積と売却を可能ならしめ、また「これらの地区の大部分の荘園は規模が非常に小さく、荘園を構成する名田の大きさが大体均等で、……名田は相互に入り組んでいる」(『一向一揆』五頁)という特徴が、荘園という枠を超えた商品の流通を生み出したからである。これらの地域では、広範な中小名主的農民の独立と成長が見られた。
 畿内を中心に見られた惣村組織は、年寄(長=乙名、おとな)、番頭などによって運営・管理されていた。その役割は、「神社の神事・祭礼執行、山林や用水・道路などの管理、近隣共同体組織との紛争処理、領主権力との対応」(峰岸純夫・脇田修監修/大澤研一・仁木宏編集『寺内町の研究』(第一巻)法蔵館、一九九八年、二二七頁)であった。
 惣村が村落共同体としての実態をもつための必要条件として、石田善人氏があげているのは、1、一個の完成体としての村落の確立、2、そこに居住する農民の独立的小規模経営体制の存在、3、農民と村落の不可分の密着性、4、再生産の手段としての不動産(田畑、山林、屋敷等)及び諸職・動産の所有、灌漑用水の管理、5、農民の責任で年貢を上納する地下請の成立、6、農民の手で自らの生活を律するための法規制と違反者処罰の検断事実の存在、の六点である(『岩波講座日本歴史』第八巻中世4、岩波書店、一九八〇年)。
 日本の中世においては、荘園内部に生まれた惣村と呼ばれる高度で組織的な村落自治共同体や、寺内町と呼ばれる武装自治都市が存在したが、そのほとんどには精神的紐帯として浄土真宗が存在していた。では、なぜ浄土真宗が自治共同体の精神的紐帯となりえたのであろうか。
    以下は本誌で

プランB No.43
終刊号:閉塞時代を打ち破る代案を!

プランB No.42
特集:農業の未来を探る

プランB No.41
特集:資本主導の近代化が抹殺したもの

プランB No.40
特集:ウィリアム・モリスをどう捉えるか

プランB No.39
特集:親鸞・共同体・真理

プランB No.38
特集:宗教と社会主義

プランB No.37
特集:脱原発運動の質的深化のために

プランB No.36
特集:編集委員と読者の提言

プランB No.35
論文号

プランB No.34
特集:脱原発移行期の課題

プランB No.33
特集:原発震災・農業・TPP反対

プランB No.32
特集:司法改革の課題

プランB No.31
特集:転機に直面する労働組合活動